亡くなった誰かに対してできること

ここ1ヶ月ほど、訃報を耳にすることが続いています。

ニュースになるような有名人芸能人もそうだけれども、
もっと身近なレベルでも。知人や生徒さんのおしらせも多いです。

 

人間が生きている以上、亡くなることは100%確実なこと(稀にババジのような不老不死の聖者もいるけれど、それは一旦横へ置いて)。
だから死というものは悪いことではない。自然の摂理。
ただ、いままでそこに在った存在が無くなるということはさみしいしかなしい。そう感じる感情も人間の自然の反応。

何も悪いことでも怖いことでもなくて、
亡くなる、という事実。
それを受けてかなしいさみしいと感じる事実。
…というだけ。

 

たまに「生きたかった彼(彼女)のぶんまで、生きる」と言うような人がいるじゃない?
実際に先日このフレーズをまるっと言う人に出会って、そのときにものすごく違和感を感じたのです。そしてわたしが感じてしまった違和感は事実だから、「なにがそんなに違和感なんだろう?」と自分の中で検証していました。

このとき亡くなったのは友人で、ものすごく頻繁に連絡をとったり会ったりするような、そこまで密な縁で人ではありませんでした。
普段からそこまで濃厚に親しかったわけではないのに、
訃報が届いた途端に「彼のぶんまで生きる!」となってしまう、急に距離感が縮まる感じがまず不思議な感じがしました。
亡くなった途端に急に「特別」になるの?と。

それってつまり「死」ということは特別なことであると認識しているあらわれなのでしょう。
自然の摂理として捉えていたら、亡くなった途端に特別になったり神格化されたりしない。でも特別なことである、と認識しているから、亡くなった途端「特別」な存在になってしまう。

 

もしわたしがいま亡くなったとして。
そうすると現在わたしは30歳代なので「まだ若いのに…」と言われるのだろうと予測がつきます。
人間は歳を老いてから最終的に亡くなるパターンが絶対数多いから、若くして亡くなるとそういうことを言われるのも、言いたくなっちゃうのも理解はできる。
けれども、「悔しいでしょうね…」とか「tomokoのぶんまでわたしが生きる」とか「まだやれることがあったのに…」とか言われたら、もう本当に怒りますよ!怒りすぎて文句を言いにこの世に戻ってきちゃうレベル。

「彼(彼女)のぶんまでわたしが生きる」とか「まだやりたいことがあっただろうに」と言っている時点で、
故人は今生に満足していなかった、という前提にしちゃっているのですよ。遺された側が勝手に、ね。それってとてもとても失礼なこと。
本当に故人がやり残したことがあって、それを本人がめちゃくちゃ悔やんで亡くなっていったとしたらそう言われるのもまだわかるけれど、
そうでない人に「まだやりたいことがあっただろう」と押し付けるのは、完全に遺された側のエゴです。遺された人のエゴの押し付け。超迷惑。本当にやりたいことがあったのか、本人が今生に悔いをのこしまくって逝ったのか、なんて事実わからないじゃないですか。
なのに悔いを押し付けちゃってる、迷惑。

 

人間は自分の感情しか扱えないんだよ。

 

自分が感じるかなしさやさみしさ、くやしさは自分のものだから、どのように感じても扱ってもそれは個人の自由だけれど、
それを、「相手も同じようにかなしいと感じているのだろう、くやしいと感じている」と思い込むのは間違ってる。相手が本当にそのように、自分と同じように感じている、なんて事実なわけがない。

じゃあ、相手がどう感じているのか?は直接相手に聞かないとわからない。
だけれども、相手が亡くなってしまった場合はそれが直接聞けないんだよね(いたこや霊能については今ここでは省きますよ)。まさしく、 dead man tell no tales(まさかここでひとつ前のパイレーツネタフレーズに繋がるとは…!笑。狙っていないですよ)

相手に聞くことができないからこそ、自分の感情を置き換えたりおなじものとしてしまいがちだけど、それが迷惑なのですよ。
亡くなっていたとしても、相手の気持ちは相手のもの。自分の気持ちは自分のもの。

 

そうして、
自分の気持ち、相手の気持ち、訃報という起きた事実、を正面から取り扱っていくこと意外に出来ることはありません。そしてそれが何よりも、相手のためにも自分のためにもなるはずです。

 

「彼(彼女)のぶんまでわたしが生きる」とか「やりたいことがあっただろうに」という言葉がつい出てきてしまうようだったら、
それを発する自分を疑って振り返ったらいいですよ。自分がまだ「生きているうちにやりたいこと」があるっていう証拠だよ。
自分がやりたいことがあるくせに、それを自分でやっていないくせに、自分でやっていないということを認めるのが嫌だから(だって自分がやればいいだけなのにそれをやれていない自分、って自分がすごくくやしいでしょう?)、「あの人はやりたいことがあったはずだ。悔しかっただろうに」とか言ってしまっているのですよ。
そんな押し付け、故人も迷惑!

 

 

だからね、もうとっとと、
「いま」やりたいことは「いま」やろう。
そしていつ今生が終わっても悔いのなきように、満足な今日、時間、瞬間を積み重ねましょうよ。

そして亡くなったときに、「この人はなーんにも悔いがなかったでしょうね。良かったねぇ」くらいの気持ちで送り出してもらったらいいじゃないですか。そうなったら自分も遺された人も満足でしょう。

 

かなしさやさみしややくやしさを決して押し付けないように。
そして、生きてる人それぞれが満足な時間、瞬間を自分で積み重ねてゆく。

それが亡くなった誰か、に対してできる唯一のことですよ。

 

あの人の死を無駄にしない!とか言うならば(こう言うフレーズ、わたしは個人的にはあまり好きじゃないけどね)、
今日も覚悟をもって自分の人生を満足に楽しく生きましょう。「相手のために何かをやる」じゃないよ。「自分が満足して生きる」のよ。一見自分勝手でわがままに見えるそれが、亡くなった相手に対して唯一できることですよ。

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です