手間と金のかかる女

数年前のことだけれど、当時だいすきだった人に、
「手間と金のかかる女だな」
と言われたことがあります。笑

フレーズだけ見たら、言っている方も言われている方も印象が(というかガラが?笑)あまりよくない話だけれど、
言われたわたしはこれを「ほめ言葉」だと受け取っていました♡笑
そして、言葉のとおり手間とお金をかけてくれるこの人のことを、とてもかっこいいと思っていました。

わたしは、丁寧に扱われることを心地よく感じるし、
食事をするならおいしいもがが食べたいし、ガヤガヤしているところは嫌い。
空間だって広いところが好き。電車は嫌いだから乗らない、から当たり前に迎えに来てほしいと思っている。
となると、やっぱり手間とお金がかかる女なんですよ。

 

でも、こういうことを堂々と言ったりやったりするのは、
「ぜいたくだ」とか「調子にのるな」とか「めんどくさい女だな」と言われやすいし、やっぱり一般的にはあまりイメージが良くないのでしょう。だから、本当は手間もお金もかけてもらったらうれしいのに、
「そんな手のかかる女じゃないですよ。わたしマジメで質素なタイプです」というような態度をしている女子って多いと思うのです。「手のかかる女じゃないですよ」という印象の方がモテると思い込んでるでしょ、だいたい。
まぁ確かに、「一般的には」「幅広い層には」手間のかからない女のほうがモテるかもしれないよね。

 

実際にこの当時、別の人から「野菜に金をかけすぎだ」と言われたこともありました。笑
いまとなってはこれは笑い話にしているネタだけれども、贔屓の八百屋さんで食べたい野菜を毎週のように買っていたらこう言われたの。たしかに、こだわりの野菜を扱っている八百屋さんだから、一般的な安売りのスーパーで買い物をするよりは、値段が高いんです。
そこで好きなように買い物をしていたら、こう言われたんですよ。「野菜に金かけすぎ」って。

 

この、どちらの人のどちらの発言が正しいか間違っているかなんてないですよ。
ただ、ここに好みは生まれるし、好みのとおりを選んでいいの。選べるの。

二極のことが同時発生したときにの話でも書いたけれど、
まったく逆の2パターンが同時に現れたときは、「どっちの世界が好みかな」を自分で感じて自分で選ぶチャンスだよ。

 

この場合、わたしは「手間と金のかかる女」という世界でいきたい。
好きな野菜を買うし、そこを「節約しろ」と言われてもしたくないし出来ない。むしろ「野菜でそんなことを言われるなんて…器の小さい男だわ」くらいに思う。
だから、手間と金のかかる女でいくって決めた。そして、そんなことを言いながら女に手間とお金をかけてくれる、かけられる人のことをとてもかっこいいと感じる。
それがわたしの好みなんです。

しかしこんな態度をしていると、「一般的には」あまりウケないかもしれないよね。
だって、手間とお金のかかる女よりも、手間やお金のかからない女の子とデートするほうが簡単じゃん。
例えば新幹線に乗って遠方へ遊びに行こうとなったときに、
「グリーン車しか乗らない」という女を連れていくよりも、「普通席に満足してニコニコできる」女の子を連れていくほうが、簡単でしょう。

だから、こういう好みでこういう態度でいると幅広い層にはモテないかもしれないけれど、
そもそも自分の好みでない人から好かれても、意味がないじゃないですか。自分が好きでもない人に好かれても、断ることがもはや無駄な労力だし、つまらないデートをして時間とエネルギーを消耗することなんて絶対にしたくないよ。
新幹線の普通席で遠方へ出かけて、ラーメンを割り勘するなんて展開がきたら、もう死んじゃう。すぐ帰るよ。絶対に嫌だ。(こう書いていますけれど、普通席や割り勘がダメだとかダサいとかそういうことではないですよ。わたしの好みではない、というだけです)。
断ったり帰ったり、そういう無駄なエネルギーや時間は一切使いたくないから、そもそもあらかじめ、そういう好みの人からは好かれなくていいんです。

 

そんな「わたしはこういうタイプの女ですよ」を堂々としていたら、
「こういうタイプは嫌いだな」という人は近づいてこないし、
逆に「こういうタイプいいねぇ!」という人からはちゃんと好かれてしまうんです。
最初に書いた「手間と金のかかる女だ」と言った人はもちろん後者のタイプで、そうやって自分が好きな女の子に手間やお金をかけられる自分が誇らしいという人でした。だから、手間をかけてもらえるわたしも幸せだし、女一人を幸せにしている実感を感じられる彼自身もうれしいという、win-winな関係が出来上がっていた。どちらかが無理してそれをやっている、のではなくて、お互いが幸せな結果がその形でした。

数年前に言われたそんな言葉だけれど、
それからもずっと、自分の好みとスタンスは崩さずに、むしろさらに突き詰めてきたから(ということはますます手間のかかる女になったわけですけれども笑)、
いままわりにいる(残っている)のは、わたしの好みを知っていて、それを良しとしてくれる人ばかりです。
だから、例えば遠方へ行こうとなれば当たり前にグリーン車や良い席を用意してくれているし、食事に行こうとなれば好みのところにしか連れていかれない。
…という、わたしにとって快適で幸せなデートしか起きえないんですよ。
となると、そんな楽しいことを準備してくれているかっこいい人しか現れないんですよ。わたしの世界には、わたしにとってのイケメンしか存在していない。なぜなら、違うタイプの人はそもそも手間のかかる女に近づいてこないし、手間のかかる世界に入れないから。

 

もし、「一般的な」「幅広い層から」好かれようとして、
自分の好みをと通すのではなく、「一般的な」「幅広い層から」好かれる形を自分が演じたとしたら。たしかに、そういう幅広い層から好かれると思います。
けれども、幅広い層の中の好いてくれた人から、全く自分が好みでもない楽しくないデートに誘われたらどうするの?断ることもその労力も時間も面倒くさくない?
よく女子トークでデートや彼氏の愚痴を言っているのを聞くことがあるけれど、そもそも好みでないその人から誘われたのもそして出かけることにしたのも、自分じゃん。愚痴を言うような展開や相手を、自分の世界に置いているのは自分自身なんだよ。

 

だからさ、幅広い層のたくさんの人から好かれようとする必要はなくて、
本当に自分が好きな人からちゃんと好かれたらそれがいい、というかそれでじゅうぶんじゃないですか。

そのためには「わたしはこういうタイプですよ」というのを堂々としていたらいいのです。その「こういうタイプです」というのが、一般的でなくても幅広い層にウケなくてもいい。というかむしろ、幅広い層からの高評価や評価の数なんていらないよ。

 

そんなことをしていたら、
好きな人からちゃんと好かれるのです。つまりモテてしまう。
しかも好きだと言ってくれる人がみんな(自分にとっての)イケメン。

そうなったら幸せだよね。
幸せですよ。

 

自分はどういうタイプで、どういうことが好みなのか、
それがどんなに一般的であってもなくても、自分の好みの形で堂々としていよう。

そして、ちゃんとモテちゃおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

❤︎記事を読んでミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験

 

 

 

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