インドで pay it forward を体験した話 ①

さて。今回のインドのことでも書こうかな。

インドにいても日本にいても、毎日色々なことが起きるけれど、
起きるどの出来事も次に起きる出来事、その次に起きる出来事の伏線や敷石になっていて、すべての物事はつながっているんだと実感した話。

 

 

リシケシである日の朝。
その日はどうしても行ってみたかった朝のヨガクラスがありました。そのクラスが開催されているアシュラムの名前はわかったのだけれど、その場所がわかりませんでした。名前はわかる、しかしそれはどこだ?という困った状態。
google mapで検索をかけてみても、小さいアシュラムなんて出てこないんです。
そして、これはインドを旅したことのある人には共感してもらえる話だけれど、インド人って道を聞くと適当なことを教えてくれるの。だからアテになりません。笑
これはね、悪気があって「間違った方を教えてやろう」というのではなくて、「知らないよ」と言えない彼らの国民性らしい。「知らない」と冷たく言うくらいなら、なんとなくの方を教えちゃおう☆と言うあたたかい気持ちからの行為らしい。(だから、彼らの勘が外れたときは大変迷惑をこうむる。笑)

街へ出て、そのあたりにいる地元(っぽい)人に「ギータアシュラムはどこですか?」と聞くものの、2人聞いた2人が真逆の方向を教えてくれて、3人目は「ヨガクラスだったらあそこにあるよ」と全然別のクラスを教えてくれました。(笑。もう笑うしかない)

今日はもうたどり着けないかな、とあきらめたその時に、
お寺の敷地内から声をかけてくるまだ若いサドゥーがいました。(サドゥーというのは、世俗のすべてを捨てて生きている行者です。インドの聖地にはよくいます)
そして、道をたずねたところ、
正しい道を教えてくれて、無事に目的のヨガクラスに参加することができました。

 

ありがとう!サドゥー!

 

そしてこの日の夕刻。
朝ヨガクラスを終えて一旦自分の部屋に帰ったものの、夕刻のお祈りには参加しようかなぁとガンガー(ガンジス河)沿までおりてゆきました。
しかしこの日は気温が高く、対岸のお寺まで行くことが億劫になってしまいました。しばらくこちらの岸に座ってぼんやりしていたら、お花を売る少年が来ました。
(これまたインドあるあるな光景で、ガンジス河のある聖地には、花売り(ガンジス河へ流すお供え)の子供たちがよくいます。観光客へお花を売っているの。もちろん、裕福なおうちの子どもたちではないでしょう。)
この少年がお花を買って、と言ってきました、彼の言い値は50ルピー(ちなみに相場は10ルピー)。
最初は「買わないよ」と言って断っていたものの、いよいよ対岸のお寺に行くのが本格的に面倒になったわたしは、
お寺に行かないならその場でお花を買って流そうかな、と気分になって、お花を買うことにしました。少年は50ルピーと言っているけれど、それは高い。お互いの名前やアイスクリームが好きなことなどを話してすっかり仲良くなって交渉の末、20ルピー渡すことにしました。

お花を買って流してから、
少年「明日も買ってよ!明日は50ルピーね!」
わたし「じゃあ、明日までわたしの名前を覚えていたら買ってあげるよ。でも20ルピーだよ」
少年「えー。じゃあお花は20ルピーでいいから、あとは…アイスが食べたい」
わたし「いいよ。じゃあ明日まで名前を覚えていたら、買ってあげる」
というやりとりをしました。

この日、わたしの体力的に対岸まではもう行けそうになかったから、
少年とお話をして20ルピーのお花を流してお祈りをして、そのまま帰宅して。
どこにも無理のない幸せな気分で一日を終えました。

 

 

そして翌日。
この日こそは対岸のお寺に行くつもりだったので、こちら岸でお花を流すつもりはありませんでした。しかし夕刻に河岸におりたら絶対にこの少年がいるだろうな会っちゃうだろうなと思い、すこし早めの時間に部屋を出ることにしました。少年に会わなくてすむ作戦です。
しかし、河岸へおりた途端、向こうからわたしの名前を呼ぶ少年が…!さっそく見つかっちゃった!笑
約束は約束だからね、お花を買って河へ流しました。そして20ルピーを渡すと、
「昨日50ルピーって約束したのに!騙された…」
なんてことを言い出すから、「20ルピーとアイスの約束じゃなかったっけ?いいの?」と聞くと、満面の笑顔になって「アイスがいいー!」という少年。もう…かわいい!(ちなみに少年は6-7歳くらい)
そして近くのアイスのワゴンでご希望のアイスを買ってあげました。
このアイスが50ルピーだったからね、総合するとわたしは70ルピーの出費。50ルピーでお花を買う方が「数字としては」安くあがったのだけれど、
「アイスは久しぶりに食べるー!チョコレート好きなんだ!」という幸せそうな少年を見ていたら、わたしまでものすごく幸せになったので、数字は安いか高いかは関係なくて、すごくすごく良い気分で良いお買い物をしたなぁ♡と満たされていました。

 

しかし、早めに部屋を出てきたしまったものだから、お寺でのお祈りまで1時間ほど時間が余ります。

「どこかでチャイでも飲みたいなぁ」と思ったものの、チャイはチャイのスタンドで買うしかなくて、スタンドで買ったチャイを持って河沿に座ってのんびり♪はできそうにありません。
(チャイの器が使い捨てではないガラスのカップだから、スタンドで買ったものを河岸まで持ち出すことが難しい。その場で飲んでゆくのが基本)
「もしどこかで、使い捨てのカップにチャイを淹れてくれるスタンドがあればそこで買おう」と思いながら歩いていたものの、そんなスタンドには出会えぬまま、いつのまにかお寺に着いてしまいました。
お寺に着いたら、昨朝、正しい道を教えてくれたサドゥーがいました。「Hi.昨日はヨガクラスに着けた?」という世間話から始まり、「お寺の敷地に入ってきちゃいな」と声をかけてくれました。これから始まるお祈りの準備のために、一旦門を閉めているお寺の中に入って来ていいよ、って。
お言葉に甘えて靴を預け、お寺の中へ入れてもらうことにしました(こういう優遇とかズルが起きちゃうのもゆるゆるインド。笑)
そして、ヒンドゥー神様について話すうちに、妙に詳しくて興味を持ちすぎている日本人(わたし)の存在に嬉しくなってしまったサドゥーが「これ飲んで!」と近くのスタンドからチャイを運んで来てくれました。

 

でた!チャイ!さっきから「飲みたいなー」と思っていたら、目の前に出て来たよ!!

 

というわけで、望みのチャイを飲みつつ、ガンジス河沿で哲学っぽい話をしつつ、お寺のお祈りが始まるまでちょうどよい時間を過ごすことができました。

 

 

このチャイの話、何が珍しいかというと、
「サドゥーからチャイをご馳走になっている」という点です。
サドゥーは世俗の色々を捨てて生きているので、家や物質という財産は持っていない存在なのです。
そんな人からチャイをごちそうになっているということ。
どう見ても、財産やお金という数字だけを見たらわたしの方が持っているものが多いのに、それなのになぜか立場が逆転したような出来事が起きちゃった。
「サドゥーにごちそうしてもらう」なんて、珍しいことなのですよ。通常なら、わたしたちがなにか食事をおすそ分けする、ような立場なのです(実際にサドゥーたちはお寺からの配給のような食事をいただいて暮らしてる)。

 

 

ある朝、道をたずねる。そして道を教えてもらう。
その日の夕、少年のお花を買ってあげる。
次の日、少年にお花とアイスクリームを買ってあげる。
そのすぐ後に、サドゥーからチャイをごちそうになる。

 

 

これはわたしが体験した一連の流れだけれども、
この流れをみて感じるのは、本当に持ちつ持たれつでまわっているだけなんだ、ということ。

わからない人が聞いて、知っている人が教えてくれて、
お花とアイスクリームを買ってあげて、喜んでくれるのが嬉しくて、
会話が楽しいからといって、チャイをごちそうしてくださる。

みんな「相手が喜んでくれるのが嬉しい」「その場が楽しい」という気持ちを、物質という形で表現したら、結果的に相手が欲しいものを与えることになっている、自分が欲しいものがやってくることになっている。

 

まさしく “pay it forward ペイフォワード” だなと感じた出来事です。
親切やよろこびをどんどん次の人へつないでゆく。

この行為が素晴らしい(いや、素晴らしいことではあるのだけれど)とか徳が高い!とかそういうことではなくて、
この循環のなかにいたら、必要なものは必ずやってくるし、人が絶対助けてくれるし、「困ることってないんだな」ということを実感できるのです。それを実感できるとね、「心配」というものが無くなるよ、ということが言いたいのです。
だって、「絶対にどうにかなる」んだもん。困ることってもうないんだもん。
そういう豊かさの循環がこれなんだ、と心底実感しました。

 

誰がたくさんお金を持っている持っていない、ということはもはや関係がなくて、
必要な時に必要なだけ、必要な場所にちゃんとやって来て、そして必要なぶん使うだけ。
誰がたくさん持っている持っていない、なんて本当に関係がなくて、
ちゃんと必要なところに必要なだけまわってゆくんだよ。
だから、自分がたくさん持っていてもいいし、持っていなくてもいいの。どちらでもとにかく「大丈夫」。となると、持つこと持たないことどちらへの執着もなくなってゆきます。

あってもなくてもどちらでも良い。でもちゃんと必要なところには出てくるし、ちゃんと足りちゃう。

サドゥーも少年も、わたしより持っているお金は少ないかもしれないけれど、
お花もアイスもチャイも楽しい神様トークも、どこかから出て来た。その全てをわたしが出したわけではないでしょう。必要なところにあらわれて巡っていっているっていう、ただそれだけ。

だいたい、サドゥーが運んで来てくれたチャイのお代がその後どうなったのか、支払ったのかどうかなんてわたしは知らないです。彼がお金を持っていたかどうかは今でもわからない。でも、出て来たし、美味しかった、楽しかった。以上。なの。

 

 

必要なもの、望んだものは、
必要な場所に必ずやってくる、あらわれる。
まじで。

 

 

現代日本に馴染んでいると、
「お金がたくさんないと欲しいものが手に入らなくて、
お金がたくさんないといつか困ることになる」
ってどうしても思いがちでしょう?そしてそのためにツライ思いをしたり我慢をしたり、「いつかの幸せのためのお金」を集めようとするでしょう?その「いつかの幸せ」の「いつか」っていつなの?

そうじゃないやり方もあるんだよ。ちがう世界もあるの。

 

「いまの幸せ」「いまのよろこび」を循環させていたら、必要なものがちゃんとやってくる世界。
その pay it forward な世界を知ってしまいました。そうしたら、「心配」ということが無くなって、最近ではすっかり「心配の仕方を忘れた」とか言い出しています。笑 でもギャグではなくて、本当なの。
これを知ってしまったからには、わたしはその世界で生きたいなぁと思っています。

 

どっちの世界を実践するかは、自分で選べることですよ。

 

 

そしてこの話まだここで終わりません。長くなったので次回につづきます…

 

 

 

 

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