願う→叶うのタイムラグを小さくする方法

昨日から「明日はこの掃除をしようっと」と思いついていた場所を気持ちよく掃除を終えた今朝。
嫌々ながらやるお掃除は苦痛だけれども、
自分でやりたいなーと思ったお掃除はキレイになればなるほど気持ちが良いものです。

なんでもそう。
「やりたいな」と思ってやることが大事。そうしたら、一見億劫に見える作業ですらも自ら進んでやると億劫ではないのですよ。むしろやり終えると充実感が感じられて、幸せなのです。
「自らの意思で動く」ということ、とても大事。

 

お掃除のあとはこれまたキレイにしたかった水槽を洗ったり、気に入っているお洋服の手洗いをしたり、送っていただいたマスカットを食べたり。まぁそんなことをしていました。

そしてね、今日が入金と発券期限の航空券(来月使う)があったのです。
金額とフライト日付だけ確認しよう、と思ってメールを開いたら…

「復路の安いお席があったので金額が変わります」というご連絡が来ていて、
なぜか4000円ちょっと安くなっていました。
今回のフライトは乗り継ぎやらストップオーバーやらをするので、航空会社も時間も絶対この便がいい、という希望があって、金額についてはあまり融通がきかなかったのです。「安いものならなんでもいい」というわけにいかなくて、「この時間のこの便」という指定があるので、金額については選択の余地がなかったのですね。
そのうえ当初の話では、「往路はひょっとしたらもうちょっと安い席が出るかもしれないけれど、復路は変えようがありません」と言われていたはずなのだけれど。どうしたのでしょう。復路の融通がついて安くなった。
どうしたのかわからないけれど、わたしにとってうれしいニュースなので、それでよし◎

でね、その入金があったから銀行へ行くことにしました。
しかし、朝からもろもろ作業をしていたから、すこしおなかがすいていました。というか、なにか甘いものが食べたいなぁと思っていました。
家にある何かを食べてから出た方がいいかな、と考えたのだけれど、
なんとなくすぐに外出する気分になったから、そのまま準備して銀行へ。
そして用事を済ましたらふと、数軒隣にある31アイスクリームが目にとまりました。

「そういえば、金曜日にアイス無料というクーポンがあった気がする」
というわけで、携帯を開いてみたら。その記憶は正しくて、今日使えるクーポンがあった!
しかもお店が混んでいない(クーポンの日は混んでると思ってたのに!がらがら)。
というわけで、アイスをいただいたわけです。さっき「甘いもの食べたいなぁ」と思ったことも、すっかりすぐに叶いました。

 

こんな感じで、本日もとても順調に、
願ったことが現実となり、
なにもしていないのになぜかうまく運ぶ。
という展開が起きています。

 

どうしたら、そんな風になるのか、というコツがわかってきました。

 

それにはまず、自分の「ふと」「感じた」感覚に従うことがなにより大事です。これがひとつめのコツです。

今日のわたしの行動のなかでいうと、例えば外出の間際。
ちょっとおなかが空いたなぁ。甘いものが食べたいなぁ。
という感覚があったときに、
家にある何かを食べたから出た方がいいかな、と考えたのだけれども、(←これは思考)
すぐに外出したい気分になった(←こっちが感覚)、
ので、すぐに外出したわけですね。そしたら、銀行終わりにアイスが目に入って、そのタイミングで店内はがらがらでアイスが食べられた、甘いものが食べたいという願いが叶った、という流れ。

 

思考で考えることには、それなりの脈絡や理論があるけれども、
感覚でふと感じてしまうことは、理由も脈絡もないことが多いから、なかなかそっちを信じるほうが難しいし、
現代人はどうしても思考が強めになってしまっているから、感覚のほうに動くということが難しいのだけれども、
「ふと」「感じた」感覚のほうに完璧な展開は用意されているものです。

 

ここまではすこし前からわかっていたことだけれども、
最近さらに精度のあげ方がわかってきました。
甘いものが食べたいなぁ、という願いが生まれたときに、
翌日においしいケーキをいただくことになる、のではなくて、その当日すぐにアイスにたどり着く方法ね。願う→叶う、のタイムラグをなるべく短くするやり方。

 

それはね、
なるべく常に、「今」に居続けるということ。これがコツです。
(えーわからない、とか言わないでね。笑 ちゃんと読んで。わからなかったら聞いて。)

日常生活のすべての瞬間瞬間に、常にその瞬間に居続けるの。
それさえやり続けていたら常に、願う→叶うという現実化しか起きないはずなのだけれども、
人間はなにかと考えることが得意だから、「いま目の前でやっていること自分がしていること」とは別のことを考えたり思いを馳せたりするでしょう?だから、願う→叶う、という現実化がだんだん起きなくなっていってるの。ということにいよいよ気がついてしまった。

世界(というか宇宙というか、なんといってもいいけれど)のベースは、願う→叶う、の具現化がすぐできるのですよ。すぐ叶う、が基本なの。すぐ叶うのほうが当たり前、基本設定なのです。
ところが、人間が色々と思考をはさむことによって、願う→叶うにタイムラグが生じるようになった。思考をはさんだらはさんだぶんだけのタイムラグが発生するような仕組み、なのだと思います。

だから、日常的に常に「今」の瞬間に居続けてそこに思考をはさまなければ、タイムラグが生じない。

あるとき「もしかしたらそういう仕組みなのかも」と気がついて、その仮説を実体験で試すことにしてみたのだけれど、ここしばらくのわたしの実験結果からしてみても、やっぱりどうもそうなっているみたいです。

(YOGAや禅や様々な教えのなかでも聞くよね。今に居る、be presentなどというフレーズ)

 

今に居る、ということは、過去にも未来にも飛んでいっていない、ということです。
例えば、床掃除をしながら、今日の夕飯のことやそのためのお買い物のことを考えることをしない。床掃除をしながら、昨日したケンカのことも思い出すこともないし、そういえば花瓶のお水は少なかった気がする、なんてこともない。
床掃除をしていたら、「床掃除をしている」これ以外なにもない状態でいる、ということです。

難しいっぽいでしょう?笑

「他のことをなにも考えない」というのは確かにやろうとしても難しいです。思考を自分でコントロールする、というのは簡単なことではないからね。(かといって出来ないわけではないですよ。鍛錬を積んだら思考を自在に動かすこともできるのだけれども、いきなり素人がやるにはちょっと難しい。要鍛錬なやつ、ということ。いきなり一輪車は乗れないじゃん。まずは補助付きから練習して、補助なし、自転車、一輪車、でしょ。おなじように難易度と段階があるって話)

じゃあどうするのかというと、まず一番にやりやすいのは、
そのときの肉体の感覚に集中すること。これならやりやすいです。
床掃除をしながら、動かしている手の感覚とか立っている足の感覚とかキレイになった場所のちょっと気持ちがいい空気とか、そういうことを感じることに集中してみる。これが第一歩目にやりやすいです。

手の感覚に集中しながら、
手→指→ネイル→そうだ、今度のネイルのデザインはハロウィンにしようかな→昨年のハロウィン楽しかったなぁ→あのときどこで食事したんだっけ?
みたいに思考の連想ゲームに誘われていったらだめですよ。(笑。これ陥りやすいポイントね)
だいたいこういう自分の中の連想ゲームについていって、常に思考が過去や未来を行ったり来たりしているのが人間のくせなんだけど。そっちにはついていかないで。

その思考について行っている自分に気がついたときは、「ダメだ!またこんなことを考えている。ダメだわ」と思ったりかき消そうとするのではなくて(だいたいそんなもの消そうとしても消えないから)、
「なるほど。こうやって思考って展開しているのか。これが思考というやつか」と、思考がどういうものであるかを認識するチャンスとして思考というものを感じると良いです。ここで、「思考ってこういうもの」「こうやって動いているくせがある」ということが自分でわかると、わたし(の本質)と、感覚と、思考、というものがそれぞれわけて捉えられるようになります。

…話がずれた!

とにかく、床掃除をしている最中だったら、床掃除にのみ意識をむけて、これまでの過去にあったこともこれからの未来に起きるかもしれないことも、いまここにいない誰かのことも、考えない思いを馳せないようにします。

床掃除なう。以上。
これだけであるようにする。

そうして「今に居続ける」ということは、イコール「自分が空っぽの状態で居続ける」ということです。自分の中を、過去のことでも未来のことでも誰かのことでも、どんなものでも埋めない、ようにするのです。
これ、最初はぼんやりやっていても出来ないよ。めちゃくちゃ自分自身のことを観察し続けて、「今はこんなことを考えてる」「またこんなことを考え出した」「全然関係ないことを思っている」という自分に気がつきながら、「そっちじゃないわ。いま感じているのは何だろう?」と、「今」に「今」に何度もアジャストメントしていく、その作業が必要ですよ。そこは努力が要りますよ。
だってこれまでずっと、「今」に居続けようとしたことなんてないでしょ?過去やら未来やらを行ったり来たり考えて生きてきたでしょ?
ずっとそういうクセで何十年と生きてきたのに、いきなり、「ぼんやりしたら思考が止まる」なんてわけないから。「ぼんやり今だけを感じてゆく」なんてできるわけないから。
「今」にアジャストしてゆく練習と努力が必要ですよ。

で、「今」にアジャストする練習や努力のすえに「今」に居るってこういう感じかーというのが体得できると、そのときには結果として「ぼんやりしていると今に居られる」という状態になる、というわけ。

 

「今」に居続ける、「今」を感じ続ける、ということをしていると、当然だけれども無意識に「未来」のことを考えることはなくなります。意識的に「未来について思いを馳せる」という行為はできるけれども、無意識に未来のことを考えたりはしない。
だって「今」でいっぱいなんだもん。無意識な未来が入り込む隙間なんてなくなるのですよ。
そして無意識に未来のことを考えることはなくなるから、不要な心配というものは無くなります。
だって、心配って、「こうなってしまったらどうしよう…」とか「これがうまくいかなかったらどうしよう…」と考えるやつでしょ?それをいつのまにか勝手にイメージして心配な気分になるのでしょ?
「今」の「これ」しか考えてない感じていなければ、そんなイメージが入りこむ場所がないですよ。だから、心配というものもなくなりますよ。

というわけで、「今」に居続けると、結果として不要な心配もなくなる。

 

そしてこの「今」という状態に居続けると、「今」でいっぱいではあるけれど、
「今」でいっぱいということは過去や未来やその他の人という余計な思考入っていない状態ですから、つまり「空っぽ」なわけです。
その「空っぽ」のところへ、必要な完璧な情報が流れ込んでくる。これはもう勝手に、自動的にやってくる、ちゃんとそうなっている、そういうものです。
その必要な完璧な情報は、「ふと」とか「なんかそう感じる」という感覚でおりてきます。
そして「ふと」「そう感じる」に従って動くと、願ってたことが叶うのですね。だってそれは「必要な完璧な情報」なんだもん。超具体的な攻略法がダウンロードできる、ということだもん。
そのとおりにやればクリアできるに決まってるじゃん。

 

24時間のすべての時間をこの「今」にアジャストして生きることができたら、24時間のうちの毎瞬がこの完璧な情報を受け取る状態でいられるというわけなのだけれど、
実際それは難しいよね。人間ですから、人間の基本性質として、意識し続けていないと思考が勝手に流れてゆくもの。

だから24時間その状態で居ないとだめ、というわけではない。
ただ、24時間のうち「今」にいられる瞬間を少しづつ増やしてゆくようにする。「今」に思考をはさまない時間を少しづつ増やしてゆく。

 

はいここで、世界の基本設定を思い出して。
「願う→叶うの具現化はすぐできるもの。そこに思考をはさむとタイムラグが生じる。」

ですので、「今」に思考をはさまない時間が少しづつ増えてゆくと→タイムラグがだんだん少なくなってゆく。

 

というわけです。

 

 

 

堂々と書いているけれど、これはわたしが打ち立てている仮説です。
でも、「もしかしたら世界はそうやってできているのでは?」と仮説をたてて、実際の日々で実験してみている結果、どうやらこの仮説は当たっているっぽい。
という体感が得られるようになってきました。

今日だって、航空券も安くなったしアイスクリームももらえたし♡

だから仮説だけれども、自信があるよ。

 

願う→すぐ叶う、の世界で暮らしたい人。ぜひトライしてください。そして「本当にそうだった!」という実証ができたら、そのときは教えてね。

 

 

 

 

 

 

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