負けない博打

今年はよく、
相手の予定や同行者が確定していないのに、先にチケットを予約してしまうことや自分のなかで予定を決めてしまうこと、というトライを何度も何度もした。トライというかもう博打だな。
たったいまもひと博打うったところ。

 

例えば、「あぁ!これは行きたい!」と思ってしまったライブ。
すごく良いタイミングで、ちょうどチケット発売日当日に見つけてしまって、
まだギリギリ残席がある!というもの。
一緒に行ってくれるひと、を見つけてからではもうソールドアウトになっているかもしれない。
けれどもその時点では、一緒に行ってくれるひとをつかまえていない。

こういうときにどうする?

まさしくこのときに博打を打つの。
「行くひとは決まっていないけれど、とりあえず2枚買う」という博打。
しかもこれがね、とても有名なアイドルのコンサートだったら、同行者は必ず見つかるだろうけれど、
わたしが行こうとしていたのは、だいぶマニアックなやつ。気軽に一緒に行ってくれそうなひとが見つかる気がしないやつ。

 

もし同行者がいなければ、1枚ぶんのチケットが無駄になってしまう。
だからこのときに、
「2枚ぶんのチケット代を自分が払うことになったとしても行きたいか?」
と自分に問うのです。

そもそもその前に、
「一人だけで行く?」
という質問も自分に問いている。その自問自答の結果まず、「一人だったら行きたくないな。誰かと一緒に行きたいな」という自分からの回答があって、
「では2枚チケットをとろう」
と決心して2枚買うの。
しかしその時点では同行者が決まっていないから、最悪のパターンではひとりで行くことになる可能性もある。そのときに、
「2枚ぶんのチケット代を自分が払うことになったとしても行きたいか?」
を自分に問うんだよ。そしてその自分からの答えが、
「それでも行く。行きたい」
だったら、もうそれは買ってしまえばいい。だって、「2枚ぶん自分で払う覚悟」だから、仮に1席余らせる、自腹をきることになったとしても「お金を損した」という感覚は発生しないでしょ。

 

誰かと待ち合わせをしたり、予定を決めたりするときもおなじで、
「相手の予定が見えない。けれども、自分はその前後の自分の予定を考えたいから、はやく、その相手との予定を決めたい」
ときに。

一応、相手の方向性(こんな感じになりそう。だけれどももしかしたら約束した通りには動けないかもしれない)をうかがって、そのうえで、
「もしかしたらキャンセルになってしまうかもしれない。相手が来ないかもしれない。待たされるかもしれない。予定変更されるかもしれない」
という可能性を覚悟したうえで、
「その最悪な場合が起きるかもしれないけれど、それでも自分はどうしたいのか?」
を自分で決めるの。そして、
「キャンセルになってしまうかもしれないけれど、その可能性はあるけれど、それでもできたら自分はその相手と予定通りのスケジュールが動いてほしい」
という自分の希望に賭ける覚悟ができたら、そうしたらいいよ。
そこまでの覚悟を持てるほど、会いたい、一緒に何かをしたい、そんな相手との予定だったら、
例えキャンセルになったとしても許せるもの。文句は言うだろうけれど、最後は許せちゃうやつ。

 

だから、そこまでの覚悟を持って打つ博打は、
仮にライブに行く相手が見つからなかったとしても、仮に予定がキャンセルになったとしても、
自分でした「こっちに賭ける」という決断に100%納得できるから、
「やっぱりあっちにしておけばよかった」という後悔が生まれないのです。

 

だから、絶対に負けない博打なんだよ。
キャンセルになったとしても、それは「負け」ではないの。だから、負けない博打。

そして負けない博打はいくら打っても、損はしないし後悔も生まれない。博打をうった数だけ経験値がどんどんあがってゆくという、ひたすら「勝ち」勝負なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

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