数日前に適当な格好のままばったり知人に会うという、わたしにとっての嫌な出来事があって、
自分でも驚くほど落ち込んで大反省したせいか、
あの翌日以降、だらしない格好をしなくなった。
体調が悪いとか疲れているという理由があって、
「今日はベッドでゴロゴロしよう」
と決めている日は、朝にパジャマから部屋着に着替えるけれども、
特に外出する予定はないけれどもベッドで過ごすつもりでもない、つまり、家の中で何かしらの活動をするだろうな、という日は、
朝シャワーの後に、パジャマから普段着に着替えてる。
部屋着と普段着は異なるもので、
部屋着はTシャツやタンクトップに楽チンなパンツやレギンス、のようなもの。
普段着はワンピースやパンジャビスーツ(上)にレギンスのような組み合わせ。
わずかな違いだけれども、見栄えや気持ちの設定は全く違う。
今日は取り立てて出かける予定があったわけではないのだけれど、
気に入っているワンピースが着たくなったから、朝からそれに着替えていたの。
予定なんて特にないのに。
そしてその格好でやったことといえば、お洗濯やお風呂掃除や事務作業なのだけれど、
夕方に食材が足りないことに気がついて、近くのスーパーまで買い物に行きました。
この前知人にばったり会ってしまった、例の近所のあたりまで。
この知人にばったり会う事件が起きなければ、もしかしたら部屋着でも「まぁいいか!」と外出してしまっていた距離範囲。
しかしあの事件をきっかけに大反省してからの今日は、朝からワンピースを着ていましたから。
だから、なにも後ろめたくなく、心配なく、外出できる。
そんね自分の変化を感じて、「おぉ。反省して成長してるじゃん。笑」と思いました。
そしてスーパーでオリーブオイルを見ていたら、
「何を作るの?何のための油を探しているの?」
と声をかけてくださるおばさまが出現。
どうやら、お料理好きな食材に詳しい方で、陳列されているオイルをひとつひとつ、特徴を解説してくれたの。
それがとっても、わたしの役に立って、
見慣れないオリーブオイルの中から適当なものを選ぶことができたうえ、「こんな料理をするときはこっちの方が良い。このブランドはこういう特徴」という知識までついてしまった。
思いがけずとても楽しい買い物時間を過ごすことができた。
もし今日も「近所だからいいや」という気持ちで、自分のなかで納得していない格好(だらしない、と自分が感じている格好)で買い物に出た先で、このおばさまに出会っていたとしたら。
やっぱり「あぁ。こんな楽しい会話ができるなら、もっとまともな格好をしてくればよかった」と思ってしまったことでしょう。
しかし今日は、数日前の反省があったから。
反省を活かして、活かしたとおりに行動していたから。
おなじ失敗、というか、おなじ嫌な気持ちを繰り返さなくて済みました。
なんだか、またひとつ成長した気がする。
「嫌な自分」を繰り返さないこと。それを繰り返さないためには、自分で自分の行動を反省して、反省を活かした次の行動を自分でしてゆくこと。
それしかない。
逆にそれができたとき(今日のわたしが「ちゃんとワンピース着ててよかった。楽しく会話できちゃった!」と感じたことのように)には、
「やればできるじゃん。成長したじゃん」
という自分に対する自信や信頼が生まれます。
反省を活かして、改善した次の行動をしてゆくこと。
とても大事。
ちなみに、ですけれども、
この「外出する予定がない日にも部屋着ではなく普段着に着替える」をやり始めたところ、
だらしない部屋着と気に入っている普段着では、やはり気持ちに大きな違いが生まれるようで、
家のなかにおける行動もだいぶ変わることがわかりました。
気持ちがダラダラしなくなった。
おかげで、家事や事務作業もサクサクすすむ。
そして、自分が “これまでよりもさらにちょっと良い女” になった気がして、
もっと楽しいことや、これまで目にもとめなかった、もっとステキな夢やライフスタイルを「いいなぁ。こうなりたいなぁ」と思えるようになった。
自分の枠が拡がった感じ、というのかな。
おかげで「もっとこうしてみよう」「これをやってみよう」という意欲が湧いてきて、
さらにステキな、自分の望みを叶えられそうな気がしている。
生活の質が急に底上げされた実感があります。
すでに手持ちの服の中から家の中で普段身につけるものを、
部屋着ではなく普段着、という、自分のなかでの服ランクをひとつアップしただけで、
全体的な生活の質が向上した感じ。
新しく何かを買い足さなくても、いま持っている物のなかで、
日常は「普段使い」を選んでいたところを、日常に「外出用」「ちょっと特別なとき用」を選んで使ってみる、というのは良い工夫だと感じます。
良い工夫だし、いますぐにできるよ。だって、手持ちの物の中から使うものを選び直すだけだもの。
その「ちょっと特別」が日常になる、というのが生活の質の底上げ感。
それまで「ちょっと特別」と感じたいたものが日常になると、
それまでは手にしなかった、手に入らなかったさらに良質の「ちょっと特別なもの」が、手に入る「ちょっと特別なもの」になる。
そうなったときにまた、「ちょっと特別なもの」を日常使いすることで、さらに良質の「ちょっと特別なもの」が目に入るようになって、それをまた日常使いすることで…
というエンドレスループで、どんどんと生活や人生の質が向上してゆくのですね。気がついちゃった!
気づいたから、わたしはやるよ。
❤︎記事を読んで良いこと!腑に落ちた!ミラクル!ハッピー!が起きたら…→豊かさの循環実験
循環起こして魅せましょう♡