インドと関わるようになると、絶対に体験するのが “インドマジック”
最初に予定した計画は全く崩れて(しかもそれが想定を超える計画倒れっぷり)、「あぁもうこれは絶対無理でしょ」としか考えられないような展開に進んでいるのに、なぜか最終的にはちゃんと形になってしまう、というやつです。まさにマジック。
それが、個人レベルの小さな出来事からわりとオフィシャルな行事まで規模の大小問わず起きる。
わたしがタブラ(インドの打楽器)を習っていたとき、大きなステージ演奏が何度があった。そのたびに、「この曲順で」「この衣装で」「ステージにはこのメンバーを選抜します」「この配置で座るように」と先生がかなりこだわりをもって決めて、そのとおりにリハーサルをする。
そして準備万端でむかえる本番当日。
なぜか「衣装を置いている部屋の鍵がない」とか「この人が見にきているからこの曲はやらない」とか「この子はやっぱりステージに出るな」とか、しまいには「楽器そのものが足りないぞ」という出来事が起きるのです。楽器が足りないとか、本気で意味がわからない。数時間前までリハーサルで使っていたものがどこへ行っちゃうの?
インドの田舎の街にいたとき、友達(インド人にしてはわりとしっかりビジネスしてる)に次の街へ移動するための電車のチケット予約を頼んでいたことがあった。
いよいよ明日移動だという前日に「チケットは?」と聞くと(インド人と国柄を信用していないわたしはそれまでも連日「チケットとってあるよね?」としつこく確認済)、友達のオフィス(旅行会社)に置いてあるから取りに行こうと言う。そしてオフィスにむかうと…閉まってました。その友達に電話をすると「いま帰省してるよ」とか言う。こちらには全くお構いなくすごく普通のテンションで。あの広いインドで飛行機でしか移動できない街に帰っちゃってた。なんで今日に?というか帰省する前になぜ引き渡ししないかな?
こういうことが起きたとき、インド人は「ノープロブレム!」と言う。
どう考えても問題アリな展開でも、合言葉は「ノープロブレム」。
そしてノープロブレムと言ったあとの行動が2種類あって、本当に焦らずのんびりしてる人と、ノープロブレムと言いつつも徐々にそして本気で焦りだす人がいる。
こちら日本人としては、焦らない人を見ていると「もう、もうちょっと真剣にどうにかして」と思うし、本気で焦りだす人を見ていると「ほら、絶対やばいでしょ。どうにもならないでしょ」と、いずれにせよ「あーこれは無理だ」とあきらめるしかない絶望的な気分になります。
なのに、なぜかちゃんと問題解決しちゃうんだよね。
タブラのステージのときも、なぜか楽器が足りなくなったはずなのにたまたま自分の私物楽器(かなり上等なやつ)を持ってきてる生徒(ステージ出演の予定なし)がいて借りられることになっちゃったし、出演人数を減らすと言い出したときもたまたま電車が遅延していて減らそうとした人数がぴったり遅刻することになってちょうどよくおさまったし。
オフィスが閉まっていて引き渡ししてもらえなかった電車のチケットも、バイク(といっても100ccのスクーター)で1時間半くらい行った隣町の大きな駅で購入しなおすことが出来た。それが当初予定していた列車のチケットは売り切れで、もうちょっと安い鈍行のチケットしか無くてすごく文句を言ったのだけれど、鈍行のチケットだったからこその出会いが車内で起きて「あぁこの列車で良かった!」というまさかの結末。
過程は本当にめちゃくちゃな展開になる。だけどそのときに神様の采配としか思えない偶然が起きたり力づくでどうにかしようとしたり、色んなパターンを経て、いずれにせよ最終的にはちゃんと「そのように」おさまってしまう。なんだかわからないけれど、おさまっちゃう。
マジックとしか言いようがない。
サンスクリット語のマントラに
purnamadah purnamidam purna〜
とつづくものがある。これは超簡単に訳すと「全ては完全で完璧である」というマントラ。
まさにそうなんだよね。全ては完璧に運んでいくの。
予定が予定通りに進まない国で、大昔からこのマントラが唱えられている。色んな意味ですごい。
だから本当は、心配したり予定通りに進まないことを危惧する必要なんて全くないのだろうけれど、毎度毎度想像以上に計画倒れなことが続くと、毎度気持ちは揺れる。もう本当に、インド人にはちゃんとしてほしいよ!とつくづく思う。
…なんて思っていたのに、今日は自分がインドマジックをやってしまった。
日中にやるはずだった作業が、予定外の出来事(自分の不注意)によって取りかかれず。「あーこれはもうだめだ。明日以降じゃないと無理だ」とあきらめたのに、なぜかもう夜のうちに仕上がりました。
明日のクラスは完璧にむかえられます。
ノープロブレム!