「チャンスは一瞬のうちにやってくるからその一瞬をつかめ!」という話はよく聞くし、
「自分にとって必要な物事は必ずやってくるし、来ないものは縁がないんだよ」という話も聞くよね。
じゃあさ、一瞬のうちにやってきたけれどつかみ逃したものは、必要なものだったのかどうか?縁があったのかなかったのか?どっちなの?
…と考え出すと、どっちの説も正しくて、しかしどちらも一緒に共存するのか?とか考えるわけです。
そしてたどりつくのは、
チャンスは一瞬のうちにやってくるし、
それをつかみ逃したらショックだしがっかりするし、
それでも「もう一度つかまえたい」と感じるなら追えばいいし、
「手をすり抜けて行ったけど、なんかもういいや」と感じるなら縁がなかったねと思えばいいだけ、
というところです。
つまり、縁があるのかないのかを理由として使うのはまったく不要なことで、
自分がその縁を結びたいのかどうか、つかみたいとかどうか、を自分で感じて自分で決めるということ。
縁があるからやる、ないからやらない、のではなくて、
その縁が欲しいのかいらないのか。
それだけ。
つかみ逃してショックだったら、もう一度つかもうと努力すればいいし、
また次にチャンスが来た時こそ逃さないぞ!と気合いを入れてつかむ準備をしておけばいい。
それだけ。
思考を納得させるための「理由付け」って本当にいらないよね。ムダ無駄。
そんな暇があったら、つかみ逃したショックをちゃんと感じたり、そこからどう動くのかを決めるほうにエネルギー注いだほうが、よっぽど次につながるよ。
そのショックを感じたくないからって「縁がなかったのねー」なんて思考でごまかしていたら、消化不良を起こすし不感症になるよ。思考過多による不感症。
そんなこと言ってるのも、さきほど、月末に行くつもりだったイベントのチケットがSOLD OUTしていることを知ったから…。
なんであのとき、発売を知ったときにすぐ予約しなかったのだろうか。たいへん悔やまれる。
縁があったとかなかったとか、ホントどうでもいいわ。ただただ悔やまれる。あーショック。
これからは行きたい!と感じたイベントはそのときにすぐに、予約するぞう。しっかり消化してそう心に強く誓いました。
にしても、ショックですけど。