身口意一致のご利益

2つ前の記事で、身口意一致の結果の遠出…と言っていて、
ふらりと京都へ行ってきた。

今回の目的は2つ。
会いたい人に会うことと桜。

 

食事をしよう!と話していた友達が、ちょうどこの日は関西にいることがわかって、
湯豆腐食べようよ、ということで京都で集合したのです。
(東京で会えばいいじゃん、って突っ込みは一切聞き入れませんから。笑)

 

あと、今年は京都の桜を見たかったのだ。
これはけっこう前からぼんやり思っていたの。

 

行く気は満点だったのだけれど、
手配やら何やらは面倒くさかったので、同行の友人に丸投げすることにした。
(その話はまた別記事で書きます)
やりたいことはやる、出来ないことは人にまかせる。

ここでも、身口意の一致。
率先してやりたいと思えないことを、
「じゃあわたし予約しておくね!(言い出しっぺだし)」なんて死んでも言わない。

やってもらって、「ありがとう!」って本気で言う。

 

そんなわけで、一見ワガママ勝手三昧に見える道中だったのだけれど、
タイミングが良い、では済まされないようなプチミラクルが続出したの。

 

例えば、

行きたいお寺があったのだけれど、そこへは直通バスでは行けない、と思っていてタクシーをつかまえる気満点だったの。
けれども、タクシーをとめる直前にいまいちどバス地図を見たら、
別ルートのバスが本数は少ないけれど存在することがわかって。
とりあえず、目の前すぐそこのバス停まで行ってみようと、とバス停に着いたその瞬間(まさに瞬間!)に、
「まもなくー○○寺行きのバスがまいります」とのアナウンスが流れたり。

 

カメラケースをどこかで落としたことに気がついて、
「まぁしょうがないね」とあきらめつつも神社を見てまわって、帰路についた途端、
神社を出たところの道端、一段高いところにふとカメラケースが置いてあったり。

 

いまの時期は桜のライトアップをしているから、主要地は大混雑しているのに、
そんななかライトアップ観賞を終えて道に出た途端、たまたまタクシーが来たり。

 

道の混雑を心配しつつも、
帰りは40分くらいまでに京都駅に戻っていたら安心だね、と話をしていたら、
最後の最後、タクシーが京都駅に着いたのがぴったり40分。

 

仕組まれたように全てがうまく出来すぎていて、
一緒にいた友人(目に見えない世界とか信じていない)もさすがに、
「なんだかすごくない!?」と奇跡を認める始末。

 

身口意を一致させること、
それだけで、完璧な世界が展開してゆくの。

思うことと発言、そして行動を一致させる。
それだけなんだけど、その3つを一致させるには、
まず自分の本心をずっと探り続けないといけない(自分は意識せずに自分にウソついちゃうこともよくあるからね)し、
本心がわかったところで、それを表現するにも勇気がいることもある。

 

だから、結構大変。

でも、それでもやると肚を決めて、身口意を一致させる努力を続けていると、
こうやって、完璧な世界が来る。

ただ、完璧に事が運んでいるだけなんだけど、
うまくいかないことも多い世界のなかでは、
完璧に事が運ぶことそれだけが「奇跡」に見える◎

 

身口意の一致度があがればあがるほど、
自分の世界の完璧度もあがっていくんだよ。

 

 

 

 

 

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