熊本に想うこと

昨日くらいから、わたしのまわりにいる行動力がある人たちの「九州へむかってます」の投稿が目に入りはじめた。実際今朝も、これから東京発、福岡経由で阿蘇入りするという人とメッセージをやりとりしたところ。
一方で、いま素人が行くのは逆に邪魔だよ、という意見を言う人もいるし、
まだこれから大きいのが来るだろうから、早く逃げてきたほうがいいよ、という人もいる。

だから、いま出来ることは募金しかないという考えもあるし、
現地に送る必要な物資を集めますという人もいるし、
物資はあるところにはあるのに現地でうまくさばけていないんでしょう、という行政への文句だってある。

 

それを見ているとつくづく、
「あぁ。やっぱり正解ってないんだなー」
と思う。

 

あるひとつの事象も、
見方や見ている人の立ち位置によって、正解にも不正解にもなるもの。

 

そんななかで、自分がいまやるべきことやれることは、
自分がすでに持っているエネルギーを使って得意なことをする、これしかない。

それが何であろうと、どのような形であろうと、
自分が信頼できると感じる情報をみて、感じて考えて、
「わたしはこれができるな」と本気で思えることを行動する。
そうしてうまれた行動はすべて正解で、ちゃんと必要な人のところへ届くよ。

 

行動力がある人は、現地入りすると言って向かうも良し。
仕事がある人は、こういうときだからこそ東京で経済活動をまわすべしと言っていつもどおり仕事したり遊んだりしてお金をまわすも良し。
お金がある人は、募金をするも良し。
お買い物に出られる足腰のある人は、宅配便の利用を控えるも良し。

 

無理して何かを捻出したり、特別なことや突飛なことする必要はなくて、
いますでに自分が持ってるエネルギーや得意なことを活かすだけでいい。
何をどうしたら活かせるのか、それを考えるのが知恵。

 

ダメなのは、何も考えないことと、
すべてに文句だけつけて結局何もしないってやつ。
(色々感じて考えたうえで何もしないという選択はもちろん有りなんだけど、それとは違うからね)

ダメっていうか、わたしはそういう人が好きではないんだな。
起きている出来事を無いものにできる、その感度の低さが全く理解できません。

 

 

かくいうわたしが今できるのは、
南阿蘇には親しい人がいるから、彼から来る現地のリアルな情報をこちら側へ伝えることと、
目に見えないけれど確実にあるチカラ(祈りや気持ち、LOVE)を遠隔で届けること。
これまで築いてきた人脈と、これまで培ってきた目に見えないチカラの使い方を活かしてる。

それだけかもしれないけど、それは本気でやってる。
あやしいって言われそうな、目に見えないパワーだって使いまくり。大放出だよ。笑

 

これが出来る、って本気で思えて本気でやったことは、
やった実感と届いた実感が絶対にある。
だから、誰だって何をしたって、意味がないとか無力だなんてことは絶対にないよ。

そしてこれはまた、今回の地震にかぎらず日常のすべてのシーンにおいて言えること。

 

 

 

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