文句のない世界

数年前に選挙のおもしろさを知ってしまって、
ここしばらくは 趣味:選挙ウォッチ な日々を過ごしていました。
(そんなわけでブログの更新なんて二の次にしていた…)

 

そして開票結果が出たわけだけれど、
ずっと追っていた流れや結果に「?」という腑に落ちない点があるのも事実。

とはいえ、もう決まったことだからね。「ここがおかしい」「変だ!」などと声を荒げるつもりは全くない。

 

 

政治にしても、それと直結しているわたしたちの生活にしても、すべてにおいて、
納得のいかないことやよくわからないことがあるなら、そのときに、意見するなり調べるなり学ぶなりの行動をするべき。そうするべき、というよりも、それ以外にやれることがないんだよ。

後になって「あのときこうしておけばよかったのに」とか「税金高すぎー」と言っても、
それはただの文句にしかならないし、文句を言っているだけでは現実世界は何も変わらない。
何も変わらないということは自分の望む世界の形にはならない、ということ。

 

そんなの嫌じゃん。
望まない世界に自分で身をおきつつ文句を言って生きる、なんておもしろくない。
文句を言うことにエネルギーを使って生きてゆくなんてムダなことやってられない。

 

だから、納得できないことや問題や疑問が起きている“そのとき”に、自分の意見をちゃんと言う。
意見を言うだけでは足りないことは、行動する。

 

最近、YOGAの連続講座を開催していたのもこういう気持ちからでした。
わたしはながらくYOGAに携わってきて思い入れや自分なりの解釈と考えがしっかりあるのだけれど、
巷にあふれるYOGAの講座を見ると、曲解されていたり知識も経験も浅すぎる先生がうすーい内容を伝えている講座がたくさんあって、そういうことに辟易してた。
そして「あの講座はないわー」と文句ばかり言っていたのだけれど、そう言っていてもわたしの好みではないような他の講座は無くならないし、わたしの伝えたいYOGAも伝わっていかない。

それなら、文句を言っているだけはもうやめにして、
自分が良い!と思う講座を自分で開いたらいいよね、と肚を決めて開催にいたったわけです。

 

伝えたいYOGAのある世界を自分でつくった、その世界に自分で身をおく、ということ。

 

 

どんな世界に身を置くかは自分で選べる。
自分の望む世界がいま見当たらなくとも、自分で作れる。

そのために、そのときにちゃんと(後になってからではなく)意見を言う。そして行動する。

 

そしたら、後だし文句を言いたくならない世界に暮らせるんだよ。快適だよ。

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