いままさしく上映中の “パイレーツオブカリビアン”
ちょうど2週間前に映画館へ観に行ったのだけれど、
懲りずにまた行って来ました!はい、2度目ですよ。
わたしは、ハマったものは飽きるまで続けるという性分があるから、
1日3食×数日間、カレーが食べたい!という時もあるけれど、
映画をしつこく観に行くことは、家でカレーを食べ続けることとは何かが違って、
「2度目?まじ?本当に行く?」という葛藤が頭の中で起きました。
カレーと何が違うんだ?と考えてみたけれど、
それはきっと、家で個人の趣味として食べるカレーに比べて、
「わざわざ」「出かける」映画は何度も繰り返せるほど気軽ではない感じがしていたのだと思う。
カレーは毎日た食べるにしても、
サグパニール(ほうれん草とチーズ)とかダル(豆)とか、種類が日替わりできるけれど、
映画は一度見たらストーリーはわかっちゃう。だから全く同じ内容をもう一度、ってなんだかもったいない気がしちゃう、っていうのがあったんだよね。
「もう展開知ってるから、びっくりすることもないでしょ。オチわかってるのにまた見るの?」みたいな。
気に入った作品はDVDを購入して家で何度も見るじゃん?とも思うけれど、
DVDは一度購入したら、見る度にお金がかかることはないけれど、
映画は見にいくたびに2000円前後使うわけだしね。オチがわかっているのにね。笑
そうなるとなんだか「もったいない」気がしちゃうんだよね。
あと。「4DXを一緒に観ようよ!」と妹と話していたのに、
1度目のときは「じゃあわたしは先に2Dを見るから、次回の4DXは一緒に行こう」と言い訳をして1度目は抜け駆けをしたのにもかかわらず、
今回2度目はひとりで4DXで見たからね。ますますの抜け駆け感がうしろめたかった、というのもある。
そして、「やっぱり彼女と一緒に行くということになったらいよいよ3回目もまた劇場で見ることになるよ?(3度も!になるよ)」と躊躇したのですね。それならば、今回ひとりで見るのはやめておこうかなー、と悩んだのです。
(そう、これまでにも2度3度劇場へ行ったことのある映画もあったけれど、それは毎度、一緒に見る相手が毎回違ったのだよね。例えば最近だと、om shanti om。あのマサラ上映はたしか3回行ったのだけれど、
わたしが「面白かったよ!」という話をしたら友人が「わたしも見たい!一緒に行ってー」というからついて行った、というのを繰り返しただけ。「相手のために」わたしはついて行ったという感じで、
今回のように、完全にひとりで、「ただそれが見たい」という目的でまた足を運ぶということは、やっぱりはじめてのことでした。)
… こんな調子で「本当に行く?」をしばし考えたのだけれど、
これって全部「思考」が作り出している理由や言い訳なんだよね。
頭のなかで考えて作った理論。
「オチのわかっている映画を2度も3度もみに行くなんて、もったいないよ!普通じゃないよ!」
という、なんとなくの常識から外れないように、頭のなかで「行かなくても」納得できそうな理由を作って並べていたわけです。
しかし、わたしの感覚や気持ちは、
「あの船室のインテリアがどうしてももう一度見たい!」
「今日もおもしろいことがしたーい!」
「船乗りたーい!」
と言っていました。
そう気づいてしまったから、4DXへ。(インテリアが見たい!は2Dでも叶えられるけれど、船乗りたーい!は4DXじゃないと叶わない。笑)
そして見終わったらやっぱり大満足だったわけですよ。
いまとなっては、直前まで「もったいないよ、せめて2度目は妹と行くときにすればいいよ」とか言っていた自分の思考を心底疑うほど。
だいたいね、妹と見に行く約束があるなら、3度目をまた行ったらいいだけじゃんね。
普段から「普通」とか「常識」ではなく、「自分に正直に」を実践していても、
こういう小さいところでまだまだ思考の癖が出てくる。
今回見つけたわたしの思考の癖は「映画は何度も何度も劇場に行くものではない」ということ。
しかしその癖に気がついて、その癖を打ち破ったときに、
またひとつ楽しい世界が広がっているのです。
(そしていよいよ「3度目にまた行ったらいい」とか普通に言い出している。こうやって、考え方はあっさりと自然と書き換わってゆく)
だって2度目だって、こんなにも楽しかった!
1度目では見落としていたところが新たに発見できた!
また乗船したくなったら4DXに行っちゃおう!笑
こうして、なかなか気がつかないレベルの小さな小さな思考の癖に気がついて、
自分でかけている制限をどんどん外すと、
楽しい世界はまだまだ広がっていきますよ♡
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