すすむべき道はちゃんとゲートオープンしていますよ

昨日くらいからふと「刀削麺が食べたいなぁ」と思っていて。
そうしたら、日中に会った母がふと「お父さんが刀削麺食べに行こうかとか言ってる」と言い出したので、「まじで!!!?」ということですぐにすぐに父にメールを入れました。

というわけで、食べたかった刀削麺を無事にいただくことできました今宵。

 

こうやって、すすむべき方向はいつもちゃんと示されていて、
示されているほうへちゃんとすすむと、ちゃんとうまく運ぶようになっています。そういうものです。

 

すすむべき方というのは、この「ふと思う」という形でサインがくる。
あれが食べたいなー、
これ欲しいなー、
これいいじゃん、
あそこ行きたい!、
と「ふと思う」その感覚。それがサイン。

これがね、
インスタ映えするから行きたい、とか、
流行っているから欲しい、とか、
あの人と共通の話題が欲しいからやる、という、
自分自身ではない外側のために、あるいは外側からの評価を得るために、「頭で考えた結果やりたいと思う」ことだとそうはうまくはいかない。それはサインじゃないよ。

 

「ふと思う」ことがわいてきたときは、そのサインを自分の中に残したまま、
まわりをよく見たり、まわりの声を聞いたりすること。サインを無かったことにしない、忘れない、だけれどもそれに取りつかれることなく、まわりもよく見るの。
そうすると、サインと共通したキーワードが現れる。

そしてそのキーワードが現れたら、キーワードに沿ってすぐ行動するんだよ。

 

行動したさきには「ほらやっぱり!これでよかったんだよ」と言わんばかりの展開がちゃんと待っています。

すすむべき方向というのはいつもちゃんと示されている。そしてその道はすでにゲートオープンしています。
「こっちだよ」は示されているし、その道は拓けているのに、
サインを見過ごしたり、キャッチしてくせに歩き出さないから、
拓けた道の先に進むことがなくて、いつも変わらぬ場所で「変わらない」「叶わない」って言っているんだよ。

 

 

今日だって、
「刀削麺食べたい」というふとを自分の中にのこしたまま、
母の話に耳を傾けていたら「刀削麺」というキーワードが出てきて、
父が食べたいと言っているという次の行動ヒントがやってきたから、父にすぐ連絡をしたら、
行きたかったお店に行けることになった、のです。

「ふと」思う→それを自分のなかにサインとしてのこしておく→次のキーワードがくる→キーワードに沿って行動する

この一連の作業のどれもなかったことにしないこと。

 

 

「いやーサインはtomoko先生だから来るんですよ」
とか言ってくださる方もいるけれど、それ違うから!サインは誰のところにも必ずきてるよ。それを拾うか拾わないかの違いはあると思うけれど。

でもさ、
あれ食べたい、
これ欲しい、
これやりたい、
ということは誰だって感じることができるでしょう?

あとさ、ものすごい奇跡的なことでなくても例えば、ふと想った人から急に電話がかかってきたり、携帯を手にした瞬間にメールが届いたり、そういう小さいながらも「ナイスタイミング!」なことはあるでしょう?
それがすでにサインなんだってば!

サインって別に大きい目印をつけて「はい、これサインですよー!!」ってうるさいくらいにアピールしてくるものではありません(まれにそういうものもあるけれど、日常的にあるのは小さい小さいものばかりです。その小さいサイン、に気がつくか気がつかないかがミラクルに見える人とそうでない人の違いなだけです)。

こういう小さいながらもサインであることがあったときに、せっかくサインが来ているのに「タイミングがいい!」で片付けてしまうから、次の展開がないのです。「タイミングがいい!」「すごい!」で終わりにしないように。

タイミングが良いこともすごいことも、そんなのは当たり前だから。当たり前、くらいの気持ちで受け止めて、そのなかでさらなるキーワードを見つける、気がつく、のですよ。

ふと想った人からナイスタイミングでかかって来た電話。そんな小さいサインである会話のなかにも、最近自分は「ふと思った」なにかに繋がるキーワードがあるんだよ。
そのキーワードを拾ったら、それに沿って次の行動をしましょうね。

 

 

その道はすでにちゃんとゲートオープンしてわたしたちを待ち構えてくれていますから。

 

 

 

 

 

 

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