いまの流れの怪しい話 ー後編ー

前編からの続きです。

 

そう、そういうわけで、いまって、
「また新しいステージが始まる」タイミングなようです。

 

そんなときに、
ひとつ前の「変化」というステージが始まった2年前に治療をして、そのステージを共にして来た歯が、
不具合となっていよいよ抜歯することになった。
…って、とても象徴的な感じがする。

そんな現実の事象が起きることがすごくない?
このタイミングで、2年に治療をした歯を改めて抜歯しないといけなくなる、という出来事が起きるのがすごい。

 

「ほら、古いものが終わって、新しいものが始まるよ」
「ここまでのステージはひとつ完了したよ(だから思い切って、そして堂々と新しい流れに乗るといいよ)」

 

そんなサインとしか感じられません。

そしてそんな「わかりやすいサインである」ことを無意識のどこかでちゃんと気がついているから、
「古いものははやくスッキリして身も心も新しい方へ進もう」と気づいているから、
あんなに苦手だった歯科治療に、自分でも意味がわからぬほど前向きに進むことができたのでしょう。

 

 

やっぱり、
自分でも気づかぬうちにちゃんとサインを受け取れているんだよ。
意味がわかっていなくても「こうしたい」「こっちがいい」という感覚に従っていると、ちゃんとしかるべき流れに乗れる。
「わからなくても」大丈夫なの、「わからないけどこう」という流れを否定しないこと。「わからないけど」を信じること。それが大事だなぁ。

 

というわけで、
「新しいステージに来ました!始まりました!」
という完全な確信を得たので、
堂々と次の人生を生きようと思いました。なんだかとてもスッキリ!
生きたままでも(死ななくても)、次の人生にいけるという、生きたまま輪廻パターン。

 

そしてやっぱり、
起きる出来事にはすべて意味があって、
敷石が敷かれているようになっていて、
「あのときのこれといまのこれはこう繋がっている!」とわかってしまうと面白い、パズルのよう。
人生はRPGなんだな。

 

 

でね、
「やばいよ!宇宙タイミングとしか思えぬ完璧な流れで歯がこうなって…」
「だからね、生きたまま生まれ変わった!新生した!新しい人生始まった!」
…って騒いでいたの。そういう話ができる友人にひとしきり聞いてもらって、
この話はコラム書こう!とPCを手にした矢先。

 

鼻ピアスがなくなっている!

 

んですよ。まじびっくり。
その直前、歯医者でレントゲンをとったときには鼻ピアスがばっちり写っていてね、
それを帰宅後に思い出して、洗面の鏡の前に立ったときに「あーこのピアスがさっき画像に写っていたなぁ。ウケる」と思っていたんですよ。
その後、顔を洗うこともタオルにひっかけるようなことも何もしていないのに、
ソファに転がっていただけなのに、
鼻ピアスが無くなっている…。横になっていただけなのに、鼻からピアスがなくなるなんて、もう、「消えた」としか思えません。

 

以前から言っているように、
記事もあるよ→物が壊れたり無くなったりするとき
わたしは、物が壊れたり無くなったりするときは、「何かが変わるとき」だと思っているの。
鼻ピアスは特に顕著で、
「何かが変わる」ときにいつのまにか無くなっている物なんです。
(最近では、激動だった3月4月5月に月1ペースで無くした鼻ピ。安いものじゃないのに、月1回消えていったんですよ。ちなみに、厳島神社の参拝前日と、諏訪大社にお詣りする当日に。転機のきっかけとなった出来事のあの日に、必ず無くしてたの)

それがさ、こんな話を考えながら、ソファに横になっていたら、
無くなっていた…!
もう、ダメ押しとしか思えない。

 

 

そんなこんなでサインと後押しがひどいので、素直に従って、
スッキリした歯とともに、
次の人生へまいりますよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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