バックパックで旅をしているときに、
持てる荷物に限りがある、ということを経験から学んだ。
アムリトサル(インド)にいるとき、知人がパンジャーブ州特有のデザインの靴を2足も!買ってくれて、
ゴールデンテンプル(お寺)では本をいただいた。
バックパックひとつで行動しているわたしには、新しい靴(それも2足も!)と本は結構な大荷物で、
何かを捨てなければ靴は持って行けないという状況だった。
もともと無駄な物は無かったから、この中でどれを置いて行くか…がわりと究極な選択で、悩んだあげく、
虫除けと内服薬と、万が一のときのためにもっていたウィダーインゼリーやポカリスウェットの粉、シャンプー&リンスを置いてきた。
ちょうどそのときに使っていたドミトリーには外国人(少数の日本人も)がいて、
インドの洗礼的にお腹の調子がいまいちという旅人がいたから、みなさんにお渡しすることに。
そこから先の自分の体調を心配したら、手放さないほうが安心なアイテムばかりだけれど、
いま現在それを必要としている人たちがいるし、
なによりももう荷物が入らない。(買ってもらった靴のほうが持って帰りたい)
そしてその後は結局、お腹をくだすことも体調を崩すこともなく、
手放した荷物が無くてもなーんにも困らない旅を終えることができた。
買ってもらった新しい靴は本当にかわいくて、いまでも履いている。履くと心がうきうきする。
お寺でもらった本は移動の車内のひまつぶしにちょうどよくて、そしてそれをきかっけにシーク教に興味がわいた。
あのときに置いてきた荷物は「すべてそこに置いてくる」が正解だった。
置いてくるのが正解どころか、新しく得たものでより楽しくわたしの幸せを倍増させることができた。
このように、
いつか使うかも、そのときに無かったら困るかも、
と思い込んで握りしめているものがたくさんあるんだよね。
その「いつか」も「そのとき」も永遠にやってこないかもしれないのに。
永遠にやってこなければ、使うことだってないのに。
そしてそうやって、使わないかもしれないけど不安で握りしめている何か、があるから、
これ以上の荷物を持てなくなっている。
「いつか」必要になるかもしれないものではなく、
「いま」活かせる心躍るアイテムが目の前にやってきても、
握りしめている荷物がいっぱいで手を伸ばせない。
もったいない!
いま持っている荷物を、使ったり手放したりすることは一見もったいないように感じるけれど、
荷物をたくさん握りしめていることで、新しいものを手にできないほうがよっぽどもったいないんだよ。
いま持っているものは使う、不要なものは手放す、
そうすると手が空いたところへまた新しいものが入ってくるの。
「本当に新しいものが入ってくるのだろうか…」が不安だから、なかなか使えない、手放せないんだよね。
これ、「お金」に置き換えるとよくわかる人が多いと思う。
本当にまた入ってくるかな、が不安だから、使えないの。
現に「在る」貯金すら、「無い」ような気がして「無くなってしまう」気がして使えない。
いやいや、「在る」じゃん!無くないじゃん。
使ってしまう不安を越えて、手放したさきで、
また新しいものを得て、心を踊らせる。
そうして楽しい気持ちや幸せが大きくなっていくのだから、
減ってしまうものや失うものなんて本当はないんだよ。
使う(手放す)ー得るー使う(手放す)ー得るの循環をしているだけ。
無くならない。
いま現在に不要なものは思い切って手放して、
楽しいものを得ましょうよ。
持てる荷物は限られているのだから。
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