このところ屋形船で遊ぶ酔狂なイベントとか、
インドツアーとか、
最低催行人数の設定されている企画の締め切りが続いていました。
この、最低催行人数のあるものがわたしはどうも苦手で、
だからこそ「何名のご参加でもクラスをやるよ」というスタンスで自分でスタジオをやっている。
でも、この「最低催行人数のあるものが苦手」というのは、
その人数を集めなければならない、というプレッシャーと、本当にその人数集まるかな?という不安が嫌で、プレッシャーと不安から逃げたくて、苦手ということにしていたんだよね。
苦手ということにして、催行人数を設定しなければならないような企画はたてないようにしてきてた。
けれども今回の屋形船やインドは物理的に、人数が集まらないと開催が出来ない。
催行人数のプレッシャーと不安には追われたくないけれど、
屋形船もインドも開催したい…。
となると、企画する、告知する、お申し込みを受け付ける、の一連の作業をしなければなりません。
そして、これらの締め切りがやってきました。
この日までに○名集まっていたら開催決定、というその日が。
でも、実はこの締め切り日には最低人数が確定していなかったんだよね、両企画とも。
だけど絶対に行きたいこの企画やりたい、と思ってた。
だから「開催します」に決めた。これは幹事とか仕切り屋の権限。
「いやいや、これから本当に人集まるの?」というおそれと不安はあったけれど、
自分が心から開催したい、良いものに出来る、という気持ちがあったから、
ビビる気持ちよりも、やる!という気持ちのほうを信じたの。
「やる!」のほうに自分を賭けた。
そうしたら、締め切りを過ぎたあとにご参加を続々いただき、
両企画とも当初に設定した催行可能人数を超えました。
(ご参加のみなさま、本当にありがとう)。
そのときにビビって「開催しない」に決めたら、無くなっていた企画。
けれども、「集まらなかったらどうしよう」とビビらずに、やりたい!出来る!に賭けたから、開催できることになった。
願いや夢を叶うときってこういうことが起きるの。
「本当にそれやる?」とお試しされるような、心を問われるような出来事が起きる。
そのお試しがきたときに「やっぱり無理なのかな」と諦めることなく、
「無理かもしれないなー」「叶わなかったらダサいなー」という不安にビビることなく、
「それでもやりますよ!」と肚を決めるの。
「それでもやる!」という自分に賭ける。
その肚が決まりきったとき、
なんだかわからないけれど、ちゃんと歯車がかみ合うような物事が進むような展開が起きて、
最初に願ったとおりの形が叶う。
これはもう絶対にそう。
こうやって願いや夢は必ず叶うの。
心の底からの願いは絶対に叶う。
けれども、そのお試しがきたときに、
そのお試し的出来事が大きければ大きいほど「やっぱり難しいんだ」と諦めてしまう。だから叶わない。
それを諦めてしまう心というのもいくつか種類があって、
「叶わなかったらダサいなー」というビビりもあるし、
「そもそもそこまで望んでなかった」という本心のミスキャッチもある。
本心のミスキャッチはそもそも心底願っていたことではないから諦めたらいいけれど、
本当に本心が願っていたことなのに、不安やビビりに負けて諦めちゃうのはやっぱり後悔するし悔しいよね。
だから、ビビらない決めちゃう、って大事。
決めたことは絶対に叶うんだから。叶うよ!ビビるのやめよう!
1 comment for “願いが叶う手前に起きること”