今年に入っていよいよ卒業したことがあります。
それは…電車での移動。電車というか、主に都内の地下鉄。新幹線などは乗りますよ。
実は昨年は「新幹線の普通車」を卒業しました。今後新幹線を利用する際はグリーン車を使うことに決めたのです。
それに続いて今年は地下鉄移動を卒業することにしました。
これはね、お金のかかることをするのがかっこいい!とか、電車移動がダサいから、とか、
そういう表面的な基準で決めたことでも、表面的な話をしているわけではないですよ。決してそうじゃない!ので曲解のなきよう。
自分にウソをつかないこと、をずっと実践してゆくと、
自分の快不快、だいすきなこと嫌いなこともウソなく浮き彫りになってゆきます。
そうしたときにわたしは、
狭いところと暗いところがあまり好きではなくて、そういうところは自分にとって不快で、
逆にのびのびしたところや明るいところ、あとは人と自分の距離感(いわゆるパーソナルスペースってやつですか)がある程度距離のある方が好き。心地よい。
ということに気がついたのです。
あと、うるさいところも嫌い。うるさいと疲れちゃうんだもん。
こういうことに気がついたとき。
狭いところ、うるさいところを快適と思えない自分を責めたり(そんな必要全くないからね!不快なものは不快でいいよ)、どこでも適応できるようにならなくちゃ!なんて思ったりする必要なんてない。
なのになぜか、長年の思考のくせで「そういうところでも我慢しなきゃ。馴染まなきゃ」と思っちゃうんだよね。よく考えたらそんなところで我慢する必要はないのに。
あと、そこで我慢せずに「そういうところはキラーイ!」というのは、なんだかワガママな気がして、そんなことは言ってはいけないという罪悪感や、そんなワガママなことを言ったら誰かに怒られる嫌われるという恐れが生まれるんだろうね。
だから、多少の耐えられそうなことだったら、当たり前に我慢しちゃう。そうしてきちゃったのが、いまこれまで。
だけどね、もうそういうのやめることにしたのです。
わずかなウソもごまかしも無くして、快適な世界で幸せに暮らしたいから。
だから、暗いとか狭いとか人との距離が近い、という電車をやめることにしたの。
あと単純に運転と自分の車が好き、というのもある。
この話をすると、
ぜいたくだとか、ワガママだとか、付き合いづらい、と言われることもあります。
でもそれでも、人から何と思われようと何を言われようと、自分で自分の快適な世界を作っていくんだよ。その覚悟は必要だよ。快適になる覚悟、幸せに暮らす覚悟というのかな。
人からとやかく言われないけれど、自分が何かを我慢するちょっと不快な世界と、
人から言われることもあるけれど、それでも快適な世界、
どちらを選ぶ?ということ。
わたしは絶対に後者がいい。
こうして、車移動やグリーン車を使うということをしてゆくと、
現実にお金はかかります。電車移動や普通車を利用するときと比べたら、そりゃ出費はかさむよ。
(で、そこでまた「ぜいたくねー」って言われがちなんだけど。笑)
実際に、例えば銀座に車で行ったら駐車料金2500円なんてザラですよ。
地下鉄でいけば初乗り(いくら?170円だっけ?)で済むところが、2500円+ガソリン代。数字だけ見たらそりゃ高いです。
けれども、自分の好きな環境(地下鉄じゃないから暗くない、自分の空間が保てる)で移動が出来て、お買い物した荷物も重たくない、という快適さに2500円使うというのは決して高いことではないと思うのです。
170円と2500円という数字を「比べたら」2500円の方が高くなるけれど、
快適さに賭ける2500円、は高くないということ。
比較の中で安い高いというのではなくて、
価値そのものに数字が合っているかどうかを自分の感覚で判断するの。
だいたい、自分が快適なこと好きなことにお金やエネルギーをかけてあげられない、って悲しいなぁとあるとき気づいたのですよ。
もし誰か第三者から「お前に2500円も使うのはもったいないわ。170円のこれで満足しておけ」なんて言われたら悲しくない?誰かからそんなことを言われたら悲しいのに、自分で自分にはそれをやっちゃうんだよね。そんなのおかしくない?
どれだけ自分が自分を粗末にしてるんだ、って話ですよ。
ついでに言うと、そうやって自分で自分を粗末にしているから悲しくて、
その悲しさ寂しさを満たしてほしいから、誰か第三者に「あれやって、これやって、こうしてほしい」というのを求めて、
でもそれを相手(第三者)が叶えてくれないと「あの人はこれをやってくれない」と文句を言うんだよ。そんなのは八つ当たり。これが欲求不満のループ。
だからね、そういう無駄な八つ当たりや欲求不満を増殖させないためにも、
最初から自分で自分を快適にしてあげたらいいのですよ。
お金がかかろうと、手間がかかろうと、エネルギーがかかろうと、
誰に何を言われようと思われようと、
それでも自分で自分の快適を選んであげる、という覚悟を持つこと。
そうして快適を積み重ねた世界は、それは幸せですよ。だって快適なことと好きなことや好きなものばかりだもの。幸せじゃん。
で、ここで幸せそうにしていると「幸せそうでいいわねー」なんて皮肉を言ってくれる人も現れがちだけれども、そこでも「そうなの、幸せなの」と胸をはっていられるように、
誰に何を言われようと思われようとわたしは幸せでいる♡という覚悟も持つんだよ。
覚悟を持って堂々と快適を選ぶ、堂々と幸せでいる。
その覚悟があれば誰だって、幸せな世界を創ることが出来るのです。
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