ものの見方

東京は雨。
この時期に雨が降ると、すこしづつ春に近づいているんだなぁと感じる。

 

すこし前までは雨が大嫌いで雨の日は憂鬱だったんだけど、
近頃は雨の日の静けさが心地よくて、雨もいいなぁと思うようになった。

晴れていると外出したくなったり気持ちが盛り上がって、つい動いてしまうから、
晴日が続いたのちにやってくる、たまの雨の日のチルアウト感が心地いい。

 

雨ひとつとっても、ものの見方が変わったんだなと気付く。

そして、ものの見方はこうやって変わってゆくものなんだなぁと思う。
「変える」ものではなく、いつのまにか「変わってゆく」もの。

 

だいたい、雨のなにが嫌だったかというと、

・濡れる
・傘を持つのがめんどう
・寒い(冬の雨の日)
・じめじめする(夏の雨の日)
・服や靴が限られる

なんだよね。
雨そのものが嫌なのではなくて、雨の日に起きるこのような事象が嫌だったの。

それに気付いたから、これらを解決することにした。
雨の日は基本的に外へ出ない。やむを得ず外出する場合は車で。
雨でも快適なレインブーツや防水の靴を揃える。

そうやって嫌だった事象を解決したら、雨の日そのものはわりに快適に過ごせるようになった。

 

 

ものの見方を変えましょう、という教えや考え方もあるけれど、
雨の日は憂鬱だなぁと感じている段階で、「恵みの雨だわ。雨の日も悪くないのね」と思い込もうとするのはやっぱり無理があるよね。というか自分にウソついちゃってるよね、それ。

憂鬱に感じているときに、農家のお友達から電話がかかってきて「久しぶりに雨が降って助かったよ〜」なんて話を聞いたとしたら、「恵みの雨だねぇ。雨で助かることもあるんだね」と思うかもしれないけれど、
そういう自分の感覚に響く出来事が何もないのに「恵みの雨だ」と思い込もうとするのは、思考を操作して自分をごまかしているだけ。

 

そんなことをしなくても、思考を操作しなくても、
憂鬱を感じながらも、なるべく快適に過ごせるように自分のお世話をしていれば、
時間が経つうちに、自然と憂鬱ではなくなってゆく。

 

自然と、勝手に、結果的に、ものの見方が変わってる。

 

だから。ものの見方も思考も、変えようとしなくていい。
そんなことに労力使わなくていいから、自分が快適に過ごせるように工夫して自分のお世話だけしていればいいよ。
そこに時間が作用したら、放っておいても勝手に変化するんだから。

 

 

自分がするべきポイントは間違えないほうがいいね。
労力をムダにすることなく、楽チンなほうがいいもん。

 

 

 

  2 comments for “ものの見方

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です